東日本大震災から3年

今日は東日本大震災が発生して3年の日です。


東日本大震災と原発事故 発生から3年(NHKニュース・動画あり)

およそ2万人が犠牲となった東日本大震災東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生から11日で3年となります。
被災地の復興や避難生活が続く人たちの生活の再建、原発事故の全容解明や汚染水の問題などが依然として大きな課題となっています。

3年前の11日、東北沖でマグニチュード9.0の巨大地震が起きて高さ10メートルを超える大津波が東北や関東の沿岸に押し寄せ、さらに東北や東日本の各地で激しい揺れの地震が相次ぎました。
警察庁の10日現在のまとめによりますと、警察によって死亡が確認された人は10の県と都や道で1万5884人、行方不明者は6つの県で2633人となっています。
避難生活による体調の悪化などで亡くなったいわゆる「震災関連死」は、去年9月末現在の復興庁のまとめで2916人に上り、警察庁のまとめと重複している1人を除くと、東日本大震災による死者と行方不明者は「関連死」を含めて少なくとも2万1432人に上っています。
仮設住宅などの避難先で生活している人は先月13日現在の国のまとめで26万7400人余りに上り、避難先はすべての都道府県に及んでいます。
住宅を自力で再建できない人のための「災害公営住宅」は、8つの県で2万9500戸余りの建設が計画されていますが、先月末の時点で建設に着手したのは4分の1に当たるおよそ8000戸、完成したのは全体の3%に当たる1000戸余りにとどまっています。
被災地では災害公営住宅の建設や集団移転先となる高台の造成が進んでいないことなどから、依然、多くの人が避難先にとどまらざるをえない状況が続き、生活の再建を阻む要因にもなっています。
一方、3基の原子炉でメルトダウンが起きるという過去に例のない事態となった福島第一原発の事故は、何がメルトダウンを決定づけたのかや、大量の放射性物質がどのように放出されたのかなど、全容がいまだに解明されていません。
核燃料を冷やすことで発生し続ける汚染水の問題も解決しておらず、40年かかるとされる廃炉に向けてまだ多くの課題が残されています。
3年がたつ今も、被災地の復興や避難生活が続く人たちの生活の再建、それに原発事故を巡る問題をいかに前進させるのかが大きな課題となっています。

震災3年 政府主催の追悼式で黙とう(NHKニュース・動画あり)

東日本大震災の発生から3年となる11日、天皇皇后両陛下が出席されて、政府主催の追悼式が東京で開かれ、地震の発生時刻にあわせて、安倍総理大臣や遺族の代表ら出席者全員が黙とうをささげました。

政府主催の「東日本大震災三周年追悼式」は11日午後、東京の国立劇場で開かれ、天皇皇后両陛下、安倍総理大臣、遺族の代表らおよそ1200人が出席し、国歌斉唱のあと、地震が発生した午後2時46分に、出席者全員が黙とうをささげました。
続いて、安倍総理大臣が「今なお多くの方々が不自由な生活を送られています。復興をさらに加速し、被災者の方々が一日も早く普通の生活に戻られるようにすることが、天国で私たちを見守っている犠牲者のみ霊に報いるみちです。同時に、大地震の試練からわれわれが得た貴重な教訓をしっかりと胸に刻み、災害に強い強じんな国づくりを進めていくことを固くお誓いいたします」と式辞を述べました。
天皇陛下は「被災地においては、人々が厳しい状況のなか、お互いの絆を大切にしつつ、幾多の困難を乗り越え、復興に向けて懸命に努力を続けてきました。また国内外の人々がこうした努力を支援するため、引き続きさまざまな形で尽力していることを心強く思っています。被災した人々の健康が守られ、どうか希望を失うことなくこれからを過ごしていかれるよう、長きにわたって国民皆が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います」とおことばを述べられました。
このあと追悼式では、岩手、宮城、福島の3県の遺族の代表があいさつました。
岩手県の遺族代表の淺沼ミキ子さんは、「私たち夫婦に初めて授かった子どもとして25年間、時には大笑いし、時には一緒に涙し考えて、当たり前のように過ごした日々。そんな日常が、こんなにも愛しい日々だったことを、かみしめる毎日です。あなたが大好きだったこの街を、安心して暮らしていける街になるように、復興へと歩んでいきますから、ずっと一緒に見守っていてください」と述べました。
宮城県の遺族代表の和泉勝夫さんは、「私の母は自宅で、そして妻は地震後に訪問先の姉の家から年老いた母を思い自宅に駆けつける途中で大津波に遭い、帰らぬ人となりました。未曽有の災害とはいえ、一緒にいてやれなかったことが残念でなりません。しかし、残された者、生かされた者の使命として、亡くなられた人達の分まで精いっぱい生きていかなければならないと思っております」と述べました。
福島県の遺族代表の田中友香理さんは、「穏やかな生活を送っていた私ですが、東日本大震災で父を失いました。3年たった今でも、あの震災は、私たち残されたものにとって、悲しく、つらいものですが、私の父を含め、皆さんの尊い命が犠牲になってしまったことを教訓に、2度とこのような事が起きないよう、一生忘れてはならず、向き合っていかなければなりません」と述べました。
このあと追悼式では、各国の代表ら参列者が献花を行い、犠牲者を悼みました。


天皇陛下 国民皆が心を一つに(NHKニュース)

天皇陛下は、皇后さまと共に東日本大震災の犠牲者の追悼式に出席し、国民が心を一つにして被災者に寄り添っていくことが大切だという思いを述べられました。

追悼式では、地震が発生した午後2時46分に黙とうが行われたあと、天皇陛下がおことばを述べられました。
天皇陛下は、冒頭、震災の犠牲者と遺族に深い哀悼の意を表されました。
続いて、「この3年間、被災地においては、人々が厳しい状況のなか、お互いの絆を大切にしつつ、幾多の困難を乗り越え、復興に向けて懸命に努力を続けてきました。また、国内外の人々がこうした努力を支援するため、引き続きさまざまな形で尽力していることを心強く思っています」と話されました。
そして、「被災した人々の上には、今もさまざまな苦労があることと察しています」としたうえで、「この人々の健康が守られ、どうか希望を失うことなくこれからを過ごしていかれるよう、長きにわたって国民皆が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います。そして、この大震災の記憶を決して忘れることなく子孫に伝え、防災に対する心がけを育み、安全な国土を築くことを目指して進んでいくことを期待しています」と述べられました。
.

天皇陛下のおことば全文


本日、東日本大震災から3周年を迎え、ここに一同と共に、震災によって失われた人々とその遺族に対し、改めて深く哀悼の意を表します。
3年前のきょう、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波は、2万人を超す死者、行方不明者を生じました。
今なお多くの被災者が、被災地で、また、避難先で、困難な暮らしを続けています。
さらにこの震災により、原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染地域の立入りが制限されているため、多くの人々が住み慣れた地域から離れることを余儀なくされています。
いまだにみずからの家に帰還する見通しが立っていない人々が多いことを思うと心が痛みます。
この3年間、被災地においては、人々が厳しい状況のなか、お互いの絆を大切にしつつ、幾多の困難を乗り越え、復興に向けて懸命に努力を続けてきました。
また、国内外の人々がこうした努力を支援するため、引き続きさまざまな形で尽力していることを心強く思っています。
被災した人々の上には、今もさまざまな苦労があることと察しています。
この人々の健康が守られ、どうか希望を失うことなくこれからを過ごしていかれるよう、長きにわたって国民皆が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います。
そして、この大震災の記憶を決して忘れることなく子孫に伝え、防災に対する心がけを育み、安全な国土を築くことを目指して進んでいくことを期待しています。
被災地に一日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い、み霊への追悼のことばといたします。

移動中の車から流していたラジオで天皇陛下のお言葉を聞き、心に響くものを感じました。

特に引用文に太字で示した部分が一番印象に残ったお言葉でした。

国民がいつまでも被災地に様々な形で寄り添うことがあるべき姿であると思いました。


大震災から今日で3年経ちましたが、被災地では遅々として進まない復興にいらだちを募らせる一方で、少しずつでも震災前の活気を取り戻そうとする動きもあります。

ただその動きにも立ちはだかる壁が多くあり、それが復興や生活再建の迅速化を阻んでいます。

仮設住宅には今でも27万余の人たちが住んでおり、生活基盤の確立に必要な公営住宅の建設も進んでいません。それが被災地住民の雇用の定着にも影響しているのではないかと思います。


震災で甚大な事故を引き起こして福島第一原発廃炉作業も思うように進んでおらず、先行きが不透明な状態が続いています。

周辺自治体の住民の帰還ができない状態が続いており、一部では帰還をあきらめる動きもあるようです。


こういった時こそ政治の動きにスピード感があってしかるべきですが、必ずしもそうとは限りません。

安倍政権にはもっとスピード感を持って、被災地復興や福島第一原発の問題に積極的に取り組んでほしいと願うばかりです。