黒川紀章氏死去 続報

こちら↓

http://mainichi.jp/select/person/news/20071013k0000m040118000c.html

国際的に著名な建築家、黒川紀章さんが12日、亡くなった。現代建築に生命の原理や共生の思想を取り入れる一方、妻の女優、若尾文子さんとの「熟年の恋」や今春の東京都知事選出馬など、公私にわたるユニークな行動で話題を集め続けた。派手な才気と活力で走り抜いた個性派芸術家は、急な悲報で最後の瞬間にも人々を驚かせた。

 丹下健三の下でモダニズム建築から出発した黒川さんは、建築や都市を有機的な生命体と定義する独自の思想を生み出した。20代から「メタボリズム」運動の中心人物として注目を集め、福岡銀行本店、国立文楽劇場など斬新な作品を次々に発表した。

 その思想を発展させ、「共生」という語を広めたことでも知られる。ベストセラーとなった87年の著書「共生の思想」について、建築評論家で元「新建築」編集長の馬場璋造さんは「戦後欧米一辺倒の近代化が進む中で日本が失ったものを浮かび上がらせた」と語る。日本家屋の縁側のように、人工と自然、内と外といった対立する両者の「中間領域」の重要性を説き、いち早く日本文化の優れた点を指摘した。

 その一方で、83年には女優の若尾さんと互いに再婚同士、49歳と50歳で結婚。テレビ番組の対談で、黒川さんが若尾さんを「あなたはバロックの精神を持った人だ」と褒めたたえたのが口説き文句で、「バロックの恋」と話題になった。

 今年4月の都知事選では、私財を投じてクルーザーやヘリコプターを駆使した奇抜な選挙戦を繰り広げて注目された。得票は4番目の約16万票にとどまり落選。それでも「残りの人生を命をかけて、日本のためにささげたい」と政治への情熱を燃やし続け、7月の参院選にも共生新党党首として東京選挙区に立った。

 同党公認の比例代表候補だった小川卓也さん(63)によると、選挙中は流動食をとるなど体調がすぐれない様子だったという。7月28日夜に予定された投票日前夜の「最後の訴え」も、体調不良を理由に中止された。

 小川さんは「政治に心残りがあったのではないか。何とかして意思を生かしてあげたかった」と声を落とした。

この記事を見ると、「共生」という思想が現代社会に一番必要な考えだと感じます。国際政治や地球環境といったグローバルに考えなければならない面がある一方、地域社会や自然保護といったローカルな側面でも必要ではないかと思います。

ネットには掲載されていませんでしたが、黒川氏の母校の東海学園の理事長が掲げる「ともいき」という概念が「共生」という思想につながっているという記事を見て、先に書いたように、現代社会に最も必要な概念ではないかと思います(→13日付の中日新聞朝刊より)

また、黒川氏の出身地の名古屋と東海地方について、以下の記事がありました。

http://mainichi.jp/select/person/news/20071013k0000m040164000c.html

 黒川紀章さんは地元の東海地方でも、豊田スタジアム(愛知県豊田市)や名古屋市美術館、ソフトピアジャパンセンター(岐阜県大垣市)など、多くの建築物を設計した。母校の東海中学・高校(名古屋市東区)の同窓生との交流も深かった。

 中学・高校の同期で、60年来の友人の伏原靖二さん(73)=名古屋市昭和区=は、4月の東京都知事選と7月の参院選で選対本部長を務めた。伏原さんは「子供のころから天才だった。建築の仕事で世界中を飛び回り、参院選のころから疲れが蓄積している様子だった」と話した。1年先輩で、同窓会事務局長の稲垣皓一さん(74)は「6月に会った時、『今度、(選挙に)出るんで頼むよ』と言われ、元気そのものだったのに」と残念がった。

 名古屋駅前の超高層ビル「ミッドランドスクエア」について、黒川さんは昨年10月、「街の中心の名駅は、もう少し発展してもいいのにと思っていた。ミッドランドは名古屋の発展と元気のシンボル。デザインのいい建築は街を元気にする。チャンスがあれば、今後、名古屋で世界に誇れる建築を手がけたい」と話していた。

この記事を読むと、名古屋や東海地方への想いの強さを感じ取ることができます。