今日の気になる

今日の気になるは、東海道新幹線の車体の色が決まった経緯についてです。


新幹線 ハイライトの色 JR東海の旧国鉄資料で判明(東京新聞)

新幹線の青は、「ハイライト」の青−。十月に開業五十年を迎える東海道新幹線で、開業前に車体の色が決まった経緯が、JR東海が保管する旧国鉄の内部資料で判明した。青と白の配色は、たばこの「ハイライト」を参考にしていた。色の由来はこれまで「太平洋の青」「航空機がモデル」などと諸説あった。青と白の二色は、二〇二七年に東京−名古屋間で開業予定のリニア中央新幹線にも受け継がれる。 (栗田晃)


 経緯を記したのは、開業から三年後の一九六七(昭和四十二)年三月にまとめられた「東海道新幹線電車技術発達史」。JR東海が運営する「リニア・鉄道館」(名古屋市港区)が保管していた。


 資料によると、配色が固まったのは、国鉄や車両メーカーの担当者、外部の画家やデザイナーらが参加した会合。開業二年前の六二年に開かれた。


 下地には、それまで国内の電車で採用されていなかった白色が、新鮮なイメージだとして採用された。新幹線には電気で制御する新型ブレーキが導入されるため、従来のように、ブレーキと車輪の接触でできる「摩擦くず」が生じて車体を汚す心配がないことも、理由になった。

 この白の下地と組み合わせる色は「青系」と「赤系」が候補だったが、赤は在来線の特急でも多く使われていたことから、最終的には「新幹線のより新しい、早いというイメージにふさわしい」(原文のまま)と青に決まった。


 資料は、決定に至る議論の中で、卓上にあったハイライトが重要な役割を果たしたエピソードを明記している。当時は珍しかったセロハン包装で、光沢のある白枠に青色のパッケージ。出席者の一人が、卓上のハイライトを眺めながら「これでいくのはどうだろう」と述べると、やがて全員が賛成したと記している。


 東海道新幹線では初代「0系」以降、車両のデザインが更新されても、青と白の二色は使われ続けた。


 鉄道評論家の川島令三さんは「ハイライトを参考にしたというのは、初耳。青と白の二色が今まで残ってきたのは、それだけいい選択だったからだと思う」と話している。


 

<ハイライト(hi−lite)> 1960(昭和35)年6月、当時70円で発売。「光の当たる場所」(high−light)が語源で、イラストレーターの和田誠さんが手がけたパッケージの青地は、「ハイライト・ブルー」と呼ばれた。「hi」という表現は、高いグレードを示す言葉として車やお菓子などにも使われた。

何かほほえましい話だなと思います。

こうした歴史がリニア中央新幹線の車体の色にも引き継がれるということは、意味深いことなのではないでしょうか。