黒川紀章氏 続報 その3

スポーツ紙に既に掲載された分も含めて、2題。

まずは↓

http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20071014-OHT1T00088.htm

12日に亡くなった世界的建築家の黒川紀章氏(享年73歳)の通夜が13日夜、東京都港区の梅窓院で行われ、妻で喪主の若尾文子さん(73)ら関係者が参列した。突然の訃報(ふほう)から一夜明けたこの日、黒川氏が党首を務めた共生新党では党首不在のため党の存続が困難と判断。「解散」も視野に検討を進めているという。となれば黒川さんの選挙パフォーマンスを彩った特注の選挙カーやクルーザーはどうなるのか? 世界中で進行するプロジェクトを抱える建築事務所の方も今後のメドは立っておらず、黒川氏の“遺産”をめぐる混乱はしばらく続きそうだ。

 【共生新党】 党関係者はこの日、「党首不在となり解散となると思う」と話した。参院選では10人の候補者を擁立したが党運営を取り仕切ってきたのは事実上、黒川氏1人。「最近も衆院選でどの選挙区から出ようか検討していた」(関係者)遺言状などもないとされるため、今後の方針さえ定まっていない。関係者は「将来的には『共生の思想』の意志を継いで、党を再結成させる可能性もあるのですが…」としている。

 【選挙カー、クルーザー】 都知事選の出馬の際、シボレーを改造して作られた選挙カー(車両本体約600万円、改造費約400万円)は、後方部分がガラス張りの特注品で、同党のシンボル的存在だった。だが「車体が大きく維持費がかかる」(党関係者)ため売却する可能性が高いという。都知事選で出動したクルーザー「モナ・リザ号」や参院選で使われた新クルーザー「ガバナー号」(約6000万円)も同様。ただし所有権の問題もあり、先行きは不透明だ。

 【建築家の仕事】 事務所関係者は、黒川紀章建築都市設計事務所を「黒川氏を看板にしたアトリエ」と表現する。仕事は中東など世界各地で同時進行中で、その数は数十件にも及ぶ。単体の建築物に関しては同氏の指示をもとに進めることは可能だが、問題は都市計画。「10年単位で進行しており、今後は縮小せざるをえない」(関係者)という。同氏には2人の子供がいるが、いずれも建築設計にはかかわっておらず、後継ぎはいない状態。事務所の規模も次第に縮小せざるをえないという。

 【遺産】 全日空ホテルのスイートルームに常泊し、港区にあるマンションのワンフロアすべてを自宅としていた黒川氏。プライベートジェットやヘリコプターを所有し、総資産は数百億円とも豪語していた。しかし関係者は具体的な数字は明らかにしなかったが「黒川氏の設計事務所では負債もあり、それほどお金はない」と話す。共生新党を自腹で立ち上げたり、参院選でも10人もの立候補者を擁立するなどで多大な経費もかかっており、世界を相手に稼ぎまくった黒川マネーはそれほど多く残ってはいないようだ。


今後の動向が気になりますが、前途は多難のようですね。



つづいては↓

http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200710/sha2007101501.html(「これで主人の肉体が…」若尾文子、黒川氏の葬儀でポツリ)

12日に心不全で亡くなった建築家、黒川紀章さん(享年73)の葬儀が14日、東京都港区の梅窓院で営まれた。妻で女優の若尾文子(73)は「建築家としての黒川を心の中にとどめて欲しい」と参列者を前にあいさつ。前日の通夜と同様、喪主として気丈に振る舞ったが、斎場では「これで主人の肉体が無くなっちゃう…」と寂しそうに漏らしていた。

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 14日午後2時からの葬儀には、親族や黒川氏の設計事務所関係者らが参列。密葬の形だったため弔問者は限定されたが、教え子らも駆け付け約200人にのぼった。

 親族では若尾のほか黒川さんの実弟で建築家の黒川雅之氏(70)、雅之氏の妻でテレビのコメンテーターとしても知られるコーディネーター、加藤タキさん(62)、黒川さんと前妻との間の長女と長男、黒川さんには孫にあたる長女の息子らが参列した。

 葬儀はごくシンプルな形式。棺の中にも思い出の品などは入れず、菊などの花を敷きつめた。

 若尾は「建築家としての黒川を、皆さんの心の中にとどめておいていただきたい。それを本人も望んでいることでしょう」と短くあいさつ。落ち着いて、はっきりした口調だったという。

 一方、「若尾さんはだいぶやつれた感じだった。グチャグチャのチリ紙を持って、常に涙ぐんでいる様子だった」という女性参列者も。人前では泣き崩れないよう、懸命にこらえていた様子がうかがえる。

 自宅を出る際、車内から報道陣に「夜1人になると…とっても何かねえ、さみしいです」と思わず吐露した若尾。葬儀の後、品川区の桐ヶ谷斎場で荼毘(だび)に付されたが、斎場でも本紙記者らに「これで主人の肉体が無くなっちゃうのよね。寂しいわねえ…」と涙目で漏らしていた。

 「肉体」とともに、黒川さんが今年政治活動のために設立し党首となった政治団体共生新党」も解党となる可能性が強い。参院選では自身や若尾を含む10人を擁立。次期衆院選に臨む意向も示していたが、関係者によると黒川さん1人が仕切っていたため事実上の自然消滅となりそうだ。

 遺骨は同じ梅窓院で、黒川さんが若尾のために10年前に購入したという墓に納められる。



加藤タキさん「早過ぎる」

 取材に応じた加藤さんは「73歳とは早すぎる。まだまだ活躍してほしかった」と義兄の死を惜しんだ。黒川さんの死は若尾と、前妻との間の子2人が看取ったとして「きょうも3人が一緒に見送った。何て幸せな人生だったんだろう」とつぶやいた。

 若尾は加藤さんに「今は緊張しているから大丈夫だけど、日にちが経つと空間や物が思い出だから寂しくなるだろう」と語ったという。加藤さんは「棺に物は入れなかったが、文子お姉さまの愛をお入れになったのでは」と話していた。


奥さんの若尾文子さんの言葉が印象に残ります。


あらためて、ご冥福をお祈りいたします。